リスク対応とリーダーの責任|3.11東日本大震災を参考として
指揮官は大勢を達観し適時適切なる決心をなさざるべからず。これがため常に全般の状況に精通し、事に臨み冷静、熟慮することを要す。
誰しもが仕事をしているとチームリーダーとして仕事を任され、失敗した場合は、自身の過ちだけでなくてもリーダーとしての責任を負わされる。
責任(responsibility)とは、人が引き受けてなすべき任務・政治・道徳・法律などの観点から課せられる責め(せめ)と科(とが)であり、地位が高くなれば政治的、道徳的観点から責任を負う割合が多くなる。
2016年6月16日、炉心溶解(メルトダウン)の公表が遅れたことを調査していた東電第三者委員会は、公表の遅れは、「官邸からの指示により、この言葉(炉心溶解)は使わないように」と当時の清水社長が東電社員に指示していたため、公表が遅れたと結論を出した。
この結論に対し当時の菅直人首相、枝野官房長官は「言ってない」と否定しているが、官邸内に詰めていた重責ある人物から出たことは事実であり、菅、枝野両氏はこの件に対して政治的、道徳的責任を負わなければならない。これがリスク発生時におけるリーダーのあり方である。
2010年6月4日に首班指名を受けた菅直人は、就任時の記者会見で「市民活動家から首相に」と発言したように、あくまでも思考的見地は自分たちの生活とコミュニティへの貢献を目的に、自発的に活動を行う市民活動家であり、「国家と一億二千七百万人の国民の生命、財産と平穏な日常生活を保証しなければならない。」重責をトップリーダーとして負っている。
3.11東日本大震災時に起きた福島第一原発事故発生の進むべき方向性を示せず、対応を東電幹部や官邸に詰めていた原子力専門家に頼り切って、トップリーダーとしての強い意志に基づく方向性を示せなかった。
したがって、官邸内に詰めていた多くの専門家は、個人責任回避の道を選び、原子炉の危険度を示す炉心溶解(メルトダウン)の公表に躊躇した。
このため、誰もが目の前の事象を真正面からとらえよとしなくなり、太平洋戦争末期の大本営作戦部の作戦見積のように、危険や危機に対する見積もりが甘くなり、速やかに原子炉内の圧力を低下させるためベント(気体を排出)が必要であっても、放射性部質の拡散を恐れ、ベントに躊躇し原子炉建屋の大爆発となった。しかも、原子炉を冷やすための海水注入をも「将来海水に含まれる塩分による腐食が心配される」との理由から出た反対意見に振り回されるなど、大規模災害に対する当時の官邸内での現状認識の甘さが露呈している。
ここに「米国政府が申し出た原子炉を冷やす「冷却剤」の提供を断った。」(3.18付け読売電子版)との記事があるが、当時の官邸内の空気は「国内問題に止め、大げさにしたくない」との考えが共通認識が自然発生的に生まれていたようだ。
当時官邸にいた関係者によると、「冷却材は米軍ヘリでピストン輸送する計画であり、被災地に対して頻繁な米軍ヘリの飛来は、戦場のようで国民を動揺させるから止めるべきだ」との意見が強かったようである。
どうやら市民運動家の菅直人にとっては、未曽有の災害で苦しむ国民より、市民活動家としてのイデオロギーが優先したようだ。
残念だが、日本の首相より遠く離れた米国の方が福島第一原発の溶鉱炉内で起きていた危機的状況を正確に把握していたようだ。
リーダーが発する指示や命令は、先が見えない回答の無い回答の要求に対して発するため、一か八かの場合が多い。
このため、リーダーがリーダーシップを発揮するときは、自分自身が背負う責任を自覚し、覚悟を決める必要がある。
東日本大震災当時、政府の要職にあった為政者や首相官邸に詰めていた多くの専門家や官僚に少しでも自分自身が背負っている責任の重さに対する自覚があれば、福島第一原発事故もこのような悲惨な結果にならずに、最小限でとどめられたはずである。
事実、現場では自分たちが果たすべき責任以上の働きをしていたことは、承知の事実である。指揮官と現場がもう少しマッチグしていればと悔やまれてならない。
今悲しいのは、福島原発事故の汚染処理など様々な問題処理を行っている過程において、当時政権を担っていた民主党(現民進党)や、危険だからを盾に現場に近づかず、何の疑問を持たず政府の見解を垂れ流していたマスコミが第三者のようにふるまっていることである。