利益追求型時代にこそビジョンを

2015年12月25日に新入社員が過剰な残業を強いられて自殺した問題で、株式会社電通と上司が労働基準法違反(長時間労働)の疑いで書類送検されたが、広告業界最大手の電通が入社間もない社員に月130時間ものサービス残業を科すブラック企業であったとの衝撃は大きかった。

実際、電通の利益追求主義は凄まじく、「取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは」と電通鬼十則で激を飛ばす一方、「命がけで仕事を」「仕事の鬼となれ」と過剰なノルマを課していただけでなく、明日仕事があっても朝まで飲み明かす飲み会への強要等々、一昔前の体育会系の勢いをそのまま現代に引き継いだ企業体質だったようだ。

ドイツの社会学者フェルディナント・テンニース(Ferdinand Tönnies、1855-1936)は、人間社会が発展して行く過程において、自然発生的に習慣や伝統を共有する村落や共同体、そして地縁や血縁、友情で深く結びついたゲマインシャフト(Gemeinschaft、共同体組織)が生まれ、やがて進歩的に発展していくと利益や機能を第一に追求するゲゼルシャフト(Gesellschaft、機能体組織、利益追求集団)が人為的に形成されていくとしているが、電通をはじめ、現在の日本企業の多くが厳しい国際環境を勝ち抜くためにゲゼルシャフト的な利益追求集団にシフトしている。

昔懐かしい『ALWAYS 三丁目の夕日』に出てくる自動車修理工場の鈴木オートのような社長と社員が一体化した運命共同体的社風を持つゲマインシャフト型の企業は少なくなった。

無論、昭和30年代の労働環境は現在の労働環境とは比べ物にならないくらい劣悪なもので、夜も寝ずに仕事をすることも多々あった。しかし、人として仕事に対する情熱と誇りを持っていたが、ゲゼルシャフト時代の利益追求集団では、人は歯車であり道具なのだ。

ある企業では、採用した新入社員に研修と称して過酷なノルマを科し、耐えられたものだけを予選会通過者として残すそうである。人事担当者は「一度や二度の面接で企業に有益な人材かどうかわからない。」「一度採用して、有益な人材だけを残す方が、合理的だ」と語っているそうだ。この話を聞くと、社員は利益を生む道具で、人間ではないよだ。

笑いごとでない。広告業界再大手の電通でさえ、電通ブランドと高給を餌に、人は幾らでも集まるとばかりに、労働基準監督署から長時間労働で何度も是正勧告を受ながらも、社員に過酷なノルマと長時間の残業を科していた。

さらに、厳しいノルマと上司の叱責で萎縮した社員を働かせるために、昔の体育会系のノリでさらなる飴と鞭を使い利益を追求する。これでは一流企業としてのコンプライアンスすら持ち合わせていなかったのもうなずける。

なぜならば、企業の進むべき方向性を示すビジョンがどこにも見えてこないからだ。有ったとしてもお題目だけで終わっている。
ビジョンとは、今では見られなくなったが『ALWAYS 三丁目の夕日』時代には、毎朝の朝礼時に社員全員が声を出して読み上げた「社訓」であり、社訓に基づいた経営方針である。

ビジョンがあれば倒産しないというものではないが、大局的な経営指針に基づいて中期ビジョン、長期ビジョンを組むことで、目先の利益に捉われず、雑音を排して大局的見地からの企業経営が可能となる。

また、人を歯車や道具でなく人間として扱うことで、社員の潜在能力を120%引き出すことも可能となる。人は使い捨てるものではない、古来「人は石垣、人は城、情けは味方、仇は敵」なのである。